とんちの一休さんは賢いだけでなく変人だった!? 1月9日はとんちの日・クイズの日『今日というミライグラフ365』
今日もミライグラフを読んでいただきありがとうございます。マシュアです。
通勤・通学や隙間時間に『サクッと5分で読める』過去や未来の今日あった出来事についてコラムでご紹介しています。
あなたの新しい何かの発見につながるかも!!
目 次
1月9日 今日は何の日!?
1月9日は、とんちの日・クイズの日です。
日付の由来は、とんちで有名な一休さん(一休宗純)から、「いっ(1月)きゅう(9日)」の語呂合せからです。
今日は、一休さんの人物像についてのコラムです。
おすすめ関連記事 |
一休さんってどんな人なの!?︎
一休さんは、昔からテレビアニメや、伝記の漫画や本などで、ご覧になった方も多いでしょう。
アニメなどでは、お坊さんの一人として、頭が良く回り、とんちがきくことから、将軍様からの難問解決や、町の人たちの困まり事や、手助けをしたりするというストーリーです。
一休さんの名前は、室町時代の臨済宗の僧、『一休宗』の愛称であり、戒名からとられています。
出生地は京都で、出自は後小松天皇の落胤(らくいん)という、父親に認知されない子供であったという説が有力視されています 。
もしかしたら、一休さんの頭の賢さや、物怖じしない性格からも、後小松天皇や、高貴な地位の血筋の子供であった可能性もありますね。
他にも、『一休和尚年譜』によると、一休さんの母は、藤原氏、南朝の高官の血筋であり、後小松天皇の寵愛を受けたが、帝の命を狙っていると陥れられて、宮中を追われ、民間に入って一休を生んだともいわれています。
アニメ版などでも、『母上さま』は登場するものの、父親は不明です。
どんな出生にしても、その生涯に様々な説話を残した事から、江戸時代に説話『一休咄』が作られ、とんちで有名となり、現代でも伝え続けられています。
変人だった一休さん⁉︎
とんちで有名で頭も良くて、良い家柄の血筋と、ここまでは、 良いことばかりの一休さんですが、それとは逆に、お坊さんで仏教に身をおきながらも、大人になってからの一休さんは、変人だった⁉︎という話もあります。
一休さんの変人話集
飲酒・肉食関係なし
お酒も肉もなんでも食べたんですね。まぁ、現代では、お坊さんも食べたり飲んだりもしますが、当時の仏教の菩薩戒で禁じられていた、厳しいきまりも、気にしなかったとされています。
女性との性行為だけでなく、男色も⁉︎
仏教では、上の飲酒肉食同様に仏教の菩薩戒で、女性との関係は禁じられていました。その中で、性行為だけでなく、自分の子供とされる盲目の娘や、息子の弟子までいたとされています。さらには男性への恋愛感情もあったと言われています。ただ、当時は美少年に対する好意や、高貴な地位の人の遊びの一つだったともされており、今よりもしかしたら、同性同士の関係もあからさまだったのかもしれません。
坊さんなのに刀を差していた⁉︎
一休さんは、お坊さんでありながら、刀身の朱鞘の木刀、大太刀を差すなど、風変わりな格好をして街を歩きまわったといわれています。これは「鞘に納めていれば豪壮に見えるが、抜いてみれば木刀でしかない」ということで、外面を飾ることにしか興味のない当時の世相を風刺したものであったともいわれます。風刺でありながら、とんちセンスのある生活もしていたんですね。
神仏に対してもお気軽!?罰当たり!?
親交のあった本願寺の門主、蓮如の留守中に居室に上がり込んで、蓮如の持念仏の阿弥陀如来像を枕に昼寝をし、その時に帰宅した蓮如は「俺の商売道具に何をする」と言って、二人で大笑いしたという話もあります。仏さんに関しても気軽な気持ちであったのか、信仰心がなかったのか、面白いお話ですね。
奇怪な行動
正月に杖の頭にドクロをしつらえ、「ご用心、ご用心」と叫びながら練り歩いたともされます。全て、これらは、当時の社会の風刺や批判などから行動したことと言われ、当時の民衆に理解を得られて、一休さんのとんちの話が受け継がれて来たとも言われています。興味深い、賢いから出来る人だったんでしょうね。
今日のミライポインツ!!︎
今日は、一休さんについてのコラムでした。
一休さんのとんち話は、小さい頃からよく見ましたが、とんちというのは、個人的にはクイズの謎解きというより、今で言うところの論破する回答に近いような、説得力のある答えに近いような気がします。
子供の頃に色々見ているとこれ謎解きなの⁉︎と不思議に思ったことがよくありました。
大人になって一休さんの話をみると、特にそう感じますね。
今日の毎日の記念日は何の日か、スピーチや、朝礼の話のネタなどにお使いください。
それではまた〜!!
新しい1日をミライグラフで!!