3月8日は忠犬ハチ公の命日 『今日というミライグラフ』

今日もミライグラフを読んでいただきありがとうございます。

マシュアです。 過去の今日あった出来事について、気になったことをご紹介しています。

3月8日は今日は何の日!?

忠犬ハチ公の銅像

3月8日は忠犬ハチ公の命日、亡くなった日です。

『渋谷ハチ公前』と待ち合わせ場所でも有名な銅像がある、忠犬ハチ公のことです。

ハチ公の品種は、最近では、フィギュアスケーターのロシア代表のザギトワ選手も好きだと話題になった秋田犬です。

何がすごかった日なの!?︎

関東に住んでいる方以外にも、有名なこのハチ公ですが、よく知られているのは、亡くなった飼い主を迎えに10年間、渋谷駅まで迎えに行って待っていたということです。

ハチ公は、主人である上野(英三郎)さんの生前も出かける際は、玄関まで見送る人懐っこい性格だったそうです。

その人懐っこさが転じてか、亡くなった上野さんの妻の親戚の呉服屋に預けられてからも客に近づき過ぎて、浅草の主人のところに預けられたが、散歩中に渋谷へ走って行ってしまうなどし、近所ともめごとを起こしたりで呉服屋の主人の元へ戻るが、畑を荒らすなどで、最初の主人である上野宅を出入りしていた植木職人のもとに最終的には落ち着いたそうです。

上野さん → 妻の親戚の呉服屋主人 → 浅草の主人 → 呉服屋へ戻る → 植木職人

植木職人のもとに来た頃が、上野さんが亡くなって2年後でかなり時間が経っており、植木職人もかなり可愛がっていたようですが、頻繁に渋谷へ通いはじめたそうです。

今では考えられませんが、現代の大都会の渋谷に、首輪をつけていたと思われますが、とはいえ犬が自分で歩いて渋谷へむかっていたとはすごいことですよね。

私の小さい頃は、昔は野良犬もたまにいましたが、最近はほとんど見ません

亡くなった上野さんが帰宅する時間に、行っては食事をとりに戻りを繰り返していたそうです。

合わせて知りたいポインツ!!︎

このハチ公の銅像は、実はハチ公が生前に作られたもので、銅像が出来た1934年の除幕式の時は、ハチ自身も参加していたそうです。(当時のものは戦時中に金属供出によりなくなり、再建されています。)

銅像が出来る数年前に、野良犬扱いでひどい目にあった際に、ハチを守るために、この話が報道され、銅像を募金をあつめ、『ハチが生きている間に銅像を作りたい!!』と、作られたそうです。

その翌年、1935年の3月5日に亡くりました。

今日のミライポインツ!!︎

今日は忠犬ハチ公についてコラムを書きました。

命日について書くと悲しいようですが、ちょっと忠犬ハチ公の場合、いろいろと考えさせられ書いてしまいました。

このハチ公が報道されて銅像が建つ前、焼き鳥屋や駅員によるイジメがあり、かわいそうに思ったことがきっかけで、報道になったそうです。

ただ、病死ではありながら、胃の中に、好きだった焼き鳥の串があったりと、ちょっと何があったのか真相が知りたくなりましたが、野良犬のように現代に歩いていたらもっとひどい仕打ちがあったかもしれません。

ただ、まず、想像していた犬と違い、やんちゃな犬だったんだな 笑 ということです。

元の主人に一途で人懐っこく、元気でいたずらっ子な犬というイメージを受けました・・・。

なんとなく、時代背景もまだ東京の発展途上だったので、猫のようにあちこち勝手にでかけて行く感じだったのかもしれませんが、手間のかかる犬だった感もありますね。笑

あとの飼い主にどこまで忠実だったのか、ちょっと後の飼い主がかわいそうな気もします。笑

そこまで犬に求めるるもはありませんが 笑

ただ、もとの主人の上野さんは、こんなにも愛されて天国で喜んでいたことでしょうね。

命日について、と書いたのも良い意味で、亡くなって天国で上野さんに会えて喜んでいるのではないかな・・・と思った忠犬ハチ公についてのコラムでした。

考えていたより、崇高な犬ではなく、本当にもとの主人の上野さんが、好き過ぎる優しい犬だったという感じを受けて、個人的には逆に親近感がわきました。

今日の毎日の記念日は何の日か、スピーチや、朝礼の話のネタなどにお使いください。

それではまた〜!!
新しい1日をミライグラフで!!

 

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