今日もミライグラフを読んでいただきありがとうございます。
マシュアです。
通勤・通学や隙間時間に『サクッと5分で読める』過去や未来の今日あった出来事についてコラムでご紹介しています。
あなたの新しい何かの発見につながるかも!!
5月16日 今日は何の日!?
1689年のこの5月16日は、松尾芭蕉が『奥の細道』に旅立った日で、『旅の日』とされています。
1988年に日本旅のペンクラブが提唱しました。
芭蕉と旅する「奥の細道」 歩いたルート順に名句を味わう (PHP文庫)
何がすごかった日なの!?︎
松尾芭蕉といえば、『おくのほそ道』に代表される、江戸時代前期の俳諧師です。
俳諧師とは、当時の日本文学の発句や連句と言われる、俳句の原型を唱っていた、いわゆる俳人のことです。
松尾芭蕉は、俳諧師であり、多くの芸術的な句風で、現代において、世界的にも有名な句を生み出し、『おくのほそ道』においては、江戸から、東北地方、北陸地方を巡って、岐阜の大垣までを旅した紀行文『おくのほそ道』が特に有名です。
その『おくのほそ道』では有名な句が多く生み出され書かれています。
松尾芭蕉のミステリー!?合わせて知りたいポインツ!!︎
そんな松尾芭蕉ですが、なんと、実は忍者や、隠密であったのでは!?という説があります。
忍者はご存知だと思いますが、隠密とは、将軍などの位の高い身分の人物より、内密に全国にいる諸大名の様子を調査する役目を担っていた役割の人のことです。
その理由としては!?
- 芭蕉の母の父は、伊賀流忍者の祖の百地丹波で、忍者家系の孫だったのでは!?
- 当時の江戸幕府が、仙台藩に厳しい税制度をしいていたため、隠密として創作活動の俳諧師として様子を見させていた!?
- 18歳の時に服部半蔵の従兄弟にあたる保田采女(藤堂采女)の一族である藤堂新七郎の息子に仕えていた!?
- 俳諧師とは思えないほどの旅の旅費や資金は、隠密活動から捻出されていたのでは!?
- 当時、そんな長旅をなぜする必要があったのか!?
- おくのほそ道を出発したのは40代であったが、創作活動を続けながらの全行程約600里(2400キロメートル)を、約150日間で行くほどの健脚であったとしても早すぎる!?
そのほか、仙台では、着く前に『松島の月まづ心にかかりて』などと絶賛しておきながら、仙台では1句も詠んでいないことなど、執拗に仙台藩の軍の箇所には滞在し調査していたとの説もあります。
実際のところの真実はどうだったのでしょうね!?
今日のミライポインツ!!︎
今日は、松尾芭蕉の忍者、隠密説についてのコラムでした。
この説は嘘か誠かわかりませんが、松尾芭蕉のおくのほそ道を知った時、『好きな俳句かいて旅して楽しい商売しとんなぁ・・・俺もそんなことしたいなぁ』と思いましたが、『だいたいそんな金どこからでんねん!!』と、松尾芭蕉のお金の捻出先を調べたことがありました。
いくら、有名な俳諧師であってもそんなことなかなか出来ませんよね・・・。
なんとなく、この説が、真実でなかったとしても信じてしまうのは私だけでしょうか!?
ただ、ちょっと話が飛躍的過ぎますが、現代でいう、旅をしながら、ブログをやってお金儲けみたいな感じであれば、ちょっと羨ましいような感じもします。笑
今日の毎日の記念日は何の日か、スピーチや、朝礼の話のネタなどにお使いください。
それではまた〜!!
新しい1日をミライグラフで!!