巌流島の決闘の真実に迫る 5月13日は巌流島の決闘の日『今日というミライグラフ』

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巌流島の決闘の謎に迫る 5月13日は巌流島の決闘の日 

5月13日 今日は何の日!?

5月13日は、宮本武蔵と佐々木小次郎が巌流島での決闘を行った日です。

今日は、その巌流島の決闘について、諸説ある歴史の謎の真相について迫るコラムです。

そもそも巌流島とはどこにあるのか。

山口県下関市の関門海峡にある小さな無人島です。

現代の正式な島の名前は、巌流島ではなく、『船島(ふなしま)』なんです。

佐々木小次郎は別名『岩流』と呼ばれ、そこから『巌流』、ここ船島で佐々木小次郎が亡くなり墓が作られたことから、船島は『巌流島』とも呼ばれています。

住所は、『山口県下関市大字彦島字船島』となっています。

現在では、島全体は平らな地形で、そのほとんどが、公園や広場、人口の海浜公園があり、東海岸部に遊歩道が設けられ、大型船や関門海峡を見ることが出来るよう整備されています。

その中には、この『巌流島の決闘』の舞台の主役となった決闘場面の佐々木小次郎と宮本武蔵の銅像が立っています。

 

何がすごかった日なの!?︎

巌流島の決闘は歴史ドラマ化されたり本になったりして一般的にもよく知られています。

それらの内容では、宮本武蔵という大剣豪と、佐々木小次郎という『燕返し』という剣法を編み出したことで有名な二人の剣豪が、巌流島で決闘する内容です。

決闘した結果、宮本武蔵が、佐々木小次郎の燕返しに対して、長い物干し竿の木刀で倒す(殺す)という内容です。

その歴史ドラマなどのほとんどが、『宮本武蔵』を主人公として書かれているため、佐々木小次郎をあまり知らない人も多いと思います。

さらに、この決闘には多くの謎があり、ドラマなどの史実とは違うのではないか!?と言われることもあります。

それではその謎に迫って行きましょう。

∗歴史上、諸説あるため真実とは限りませんのでご注意ください。

 

合わせて知りたい謎の史実とは!?

二人の年齢はかなり違う!?
  • 宮本武蔵が20代で、佐々木小次郎が60代であった!?

歴史上、伝承や書物により書かれた時代が特定出来ていないことから、確かな年齢がわかりませんが、若く10代の頃から剣豪として名をはせた宮本武蔵と、多くの全国への修行の末、独自の剣法を身につけた剣豪として、名をとどろかせていた佐々木小次郎。

その二人が実際に決闘した年齢は、大きく差があったとされています。

諸説あり、宮本武蔵は10代であったや、佐々木小次郎は70代であったなどの説もあります。

これが事実であり、平均年齢も低い時代に、これだけの年齢差があったとすると佐々木小次郎が不利な気がしますね。笑

時間を遅らせたは本当!?
  • 宮本武蔵は『決闘にわざと遅れた』とされているが遅れていない!?

理由はさまざまな形で描かれていますが、ドラマなどでは、宮本武蔵が太陽が上がってくる時間を待ち、上に持った長い木刀の先が、太陽の光の眩しさに目をくらませるために、予定の時間をわざと遅れて巌流島へ向かったとされています。

これは、吉川英治の小説である『宮本武蔵』で、『武公伝』という宮本武蔵の伝記と兵法に書かれていた、作戦を題材にして、本の脚色であったとされています。

実際は、遅れずに行ったとの話とされています。

佐々木小次郎を倒したのは弟子!?
  • 武蔵は一人で佐々木小次郎を倒しておらず、弟子と共に巌流島にやってきた!?

そもそも、一対一での約束をしていたものの、武蔵は数人の門人を引き連れてやってきたとの説があります。

武蔵が一対一の勝負を破って来たのに対して、佐々木小次郎の弟子が引き止めたり、加勢を申し出たが、『武士が約束を破るは恥辱』と一人で決闘し、武蔵は弟子と共に戦い、自らではトドメをさせず、最終的には、弟子数人が撲殺したとされています。

そんな、佐々木小次郎を悔やみ、『巌流』と呼ばれた佐々木小次郎の名から巌流島との名をつけられたとされています。

∗歴史上、諸説あるため真実とは限りませんのでご注意ください。

 

今日のミライポインツ!!︎

今日は、巌流島の戦いについてのコラムでした。

さぁ、皆さんはどう思いましたが!?

これだけみると、『武蔵せこすぎやろ!!』と感じてしまいそうですが。笑

小説の脚色が見方を変えてしまったのへ事実でしょうね。

実際の史実のところはどうだったんでしょうね。

まぁそこが歴史の面白いところなんでしょう。

歴史好きの人にはあまり言いませんが、『実通りにやってしまうと、本やドラマなどは多分、まったく面白くないのでは!?』というのが、私のホンネで、商売が絡む歴史のお話になると脚色も必要になってしまいますもんね。

ただし、武蔵が、佐々木小次郎との決闘からもさまざまな戦いの実績を残していることもあり、単なる『せこい剣豪』であったという考えは全然違うと思いますので気をつけましょうね。笑

この決闘に関して言うと、現代に入ってからの小説やドラマなどから、宮本武蔵の生涯を題材にしたものが多くなり、佐々木小次郎より、宮本武蔵に偏った脚色がなされて歴史が歪められたのではないでしょうか。

歴史ドラマはみるのが好きですが、多くの解釈や脚色が入り混ざっており、実際のところはわからないことが多いですね。

歴史好き同士の人がよく言い合っていますが、『一体何が正しいのやら・・・笑』と思いながらいろいろと聞けるのは楽しいです。

また、そこに歴史のミステリーがあるので、何か面白い歴史の秘密があれば、みなさんも教えてくださいね。

今日の毎日の記念日は何の日か、スピーチや、朝礼の話のネタなどにお使いください。

それではまた〜!!
新しい1日をミライグラフで!!

 

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